ふとニーバーの祈りという言葉を思い出しました。ビジネスでも生活でもいろんな文脈で有名な一節です。
神よ、変えられないものを受け入れる平静さと、変えられるものを変える勇気と、その違いを見分ける知恵を授けたまえ。
わたしは時折神社やお寺、お地蔵さんに手を合わせるぐらいの信心度合いですが、この祈りはプラグマティックな思考法として興味深いと感じています。
コントロール可能性による分類
エンジニアリングでは、問題を分解して整理することが基本です。ニーバーの祈りは、人生の問題を「コントロール可能性」という軸で2つに分類する枠組みだと理解できます。
以下のような分類自体は当たり前に思えますが、実際には混同しがちです。変えられないものを変えようとして疲弊したり、変えられるものを放置したりします。たくさん身に覚えがあります。
変えられないもの
過去の出来事、他者の行動、外部環境の変化、市場の動向、技術の進化速度など。これらに対して悩んだり抗ったりすることは、エネルギーの無駄遣いです。
変えられるもの
自分の行動、時間の使い方、学ぶ内容、誰と関わるか、何に注力するかなど。これらは自分の選択で変えることができます。
判断の難しさ
「その違いを見分ける知恵」という部分が重要だと思います。何が変えられて、何が変えられないのかの判断は、思ったより難しいからです。
例えば、自分の習慣はどうでしょうか、さらにチーム、組織規模はどうでしょうか。自分も完全にコントロールールできないのに、さらに他者となると「変えられない」に分類すべきでしょう。できることは対話を重ねることだけなのです。
技術スタックの選定はどうでしょうか。プロジェクトの初期段階なら変えられますが、運用が始まって数年経過していたら、変えるコストが莫大になります。時期によって「変えられる/変えられない」が変わる例でもあります。もちろん漸進的改善であれ式年遷宮であれ技術的には可能ですが、"技術的には可能です"であり、わたしが全てコントロールを握れるものではありません。
実践的な使い方
わたしはこの祈りを、朝の思考整理に使っています。宗教的な意味ではなく、単純に思考のフレームワークとして。
今日、変えられないことは何か。それを受け入れて、考えるのをやめる。今日、変えられることは何か。そのうち1つか2つを選んで、実行する。
完璧を目指す必要はありません。変えられないものをすぐに手放せなくても、「これは変えられないな」と認識するだけで、思考の無駄が減ります。
エンジニアリングとの類似性
この考え方は、システム設計における制約の扱い方に似ています。
解決できない制約としては、予算、納期、レガシーコード、外部APIの仕様など。これらは所与のものとして受け入れ、その中でベストを尽くす。
解決できる制約としては、自分のコードの設計、テストの書き方、ドキュメント化の方法など。これらは改善の余地があり、実際に手を動かして変えられる。
優れたエンジニアは、この区別が明確です。変えられない制約に文句を言うより、変えられる部分で創意工夫します。わたしもそうありたいと思っており、技術以外のところでもそうしたいと思ってこれを書いています。
まとめ
ニーバーの祈りは、宗教的な文脈を離れても、実用的な思考ツールとして機能します。変えられないものを受け入れ、変えられるものに集中し、その違いを見分ける。シンプルですが、日々実践するのは簡単ではありません。
だからこそこうして言語化し、折に触れて立ち帰ろうとしています。