「認知負荷」。いつのころからかよく聞くワードです。ネガティブな響きのコンテキストで使われており、一定理解できるとともに、それでいいのかなあと実は内心で悩みを抱えていました。世の中の仕組みやあり様の複雑さや負荷をなんとかするのが我々システムの、エンジニアリングの専門家だったはずなのに、と。
また、変化が激しいと言われ続けて久しい世の中であり、変動はありつつも仕事として常にそれはあり続けるものと思っていて、常に見識が、腕が、試されている。そして、頼られているという、チャレンジングなことと捉えています。
とはいえ、人のコンディションも様々で、いつもは扱える負荷でも、ある時には潰れてしまう*1こともあります。また明らかに負荷のキャパシティを超えるものに直面することもあるでしょう。そういうときはもちろん緊急対処をとらざるを得ず、その過程で悲鳴も叫びもでます。
悲鳴の先に進む
大切なのは、「認知負荷!辛い!」と叫んだその先です。圧に押しつぶされることをまずは防ぐ。そしてその次として、一歩踏み出して、もしくは一歩引いて、その負荷の正体を分類し、どう立ち向かうかを解きほぐしていく必要があります。
巨大な認知負荷の塊に直面したとき、わたしたちには様々な手段が残されています。 管制し、制御し、細分化し、メタ化する。 あるいは、解決し、活用し、受容し、時には移転する。
これらを用いて、複雑な事象を個として、あるいはチーム、組織として咀嚼し、モデル化し、勘所を掴んでいく。「なんとかする(manageする)」、「掌握」するためにこそ、自分たちのようなシステムの専門家がいるんや、と思うのです。負荷と複雑さをどう飼い慣らすかが、私たちのようなシステムを扱うエンジニアの本領と思うのです。
パニックも仕方がない
もちろん、時にその巨大な複雑性に圧倒されるときもあろうし、衝撃をうけるときもあろうと思います。その得体の知れない圧を前にして、思考が停止したりパニックを起こしたりしてしまうのは、人間だから仕方がないことです。わたし自身も、見えない依存関係や途方も無い不確実性を前に途方に暮れることは何度もありました。
しかし、そこからなのです。
パニックになった心をまずは認めて、深く息を吐き出し、息を吸い込み、虫の目と鷹の目を行き来しつつ様々な角度から事象を眺め、分解して、「エンジニアリングしていく」ことが何よりも大事になります。 環境や複雑さを嘆くだけで立ち止まらず、観測・関与可能な変数を見極める。そして、システムを紐解くように自分の認知限界をもハックしていく。
圧倒的な認知負荷を前にしても、それを恐れず、逃げず、エンジニアリングの力で一つずつ解きほぐしていく。そんな泥臭くも知的なワークを通じてこそ、得られる利得は大きいものと、信じています。
*1:この負荷で潰れる意はウェイトトレーニングで挙げきれないことからの比喩です